立ち合い不成立の観点 ~時計の針を巻き戻してみた~

0.まえがき

春場所終盤の余韻が様々、未だに根強く残る、この1週間でしたね。

さて、今回はこれから、2017年3月25日の夕方、春場所14日目に時を戻し、「照ノ富士琴奨菊戦の最初の立ち合い」を見て私が思ったことについて書きたいと思います。

言うまでもなく、照ノ富士が変化を「した」という事実は、まだ誰も知りません。

1.自評価

両者の仕切りの間、私はテレビの音声だけを聞いていました。

時間一杯となり、照ノ富士が最後の塩に向かう辺りからは、映像を目で追っていました。

「琴バウワーを映してくれなかったなあ」と思いながら。

そして、注目の立ち合い。

両者の呼吸が合わず、最初の立ち合いは不成立になりましたが、私はその時、「琴奨菊が遅いなあ」と思いました。

私の感覚では、照ノ富士の動作はさほど速くはなく、それなりにゆったりしていました。

その割には、琴奨菊の方が少し遅れて推移していたので、彼の仕切りの方が遅かった、と判断したのです。

勝負が決した後、花道からのレポートが、照ノ富士の「(琴奨菊が)立とうとしなかった」というような談話を伝えたのを聞いて、「ああ、やっぱりそうだったみたいだな」と、自分の目に少し自信を持ったのですが…

2.四面楚歌?

スポナビブログの、あの時刻以降にアップされた記事、およびコメント欄を、私はすべて調べてみました。

あの取組の最初の立ち合いについて言及していた方は3名。いずれも、「照ノ富士が先に突っかけた」という見解でした。

興味深いのは、照ノ富士ファンの方もその見解を示しているところなのですが、それはともかく、誰も「琴奨菊が遅かった」と指摘する人はいませんでした。

もちろん、わずか3件のサンプルで母集団の傾向を推定するのは無理な話です。

なので私は、「これが世間一般の標準的な見方なのだろうか?」と疑問を持ちました。

そして、先ほど書いた照ノ富士の談話についてウラを取ろうと、今日初めて、スポナビやヤフーニュースの記事を読みました。

すると、読んだ記事、10件近くありましたが、すべて「照ノ富士が突っかけた」と判定していたのです。

果たして、私の目はフシ穴だったんでしょうか…

3.両者への想い、そして信じるべきもの

春場所前、様々な注目点がある中で、私は、琴奨菊が2ケタ勝利を挙げることができるか否か、に最も注目していました。

1場所で大関に復帰できる権利を生かしてほしいな、と思っていました。

なので、12日目、宝富士に敗れて5敗目となったことを知ったとき、私は「何てこった!」と歯噛みしました。

無論、まだ照ノ富士戦が残っていることは分かっていました。

そして、照ノ富士もまた、久々の優勝に向けて可能性を残していました。

そのため、私はそのとき、「照ノ富士にも琴奨菊にも勝たせてあげたいのになあ」という気持ちでした。

いずれ迎えるこの対戦で、どちらが勝っても、嬉しさと寂しさを感じるハメになってしまったんだなあ、と思っておりました。

そういう想いの中で、私は当日を迎えたのです。

だから、このことは断言できるのです。

あの取組で、私が一方の力士のみに肩入れしてはいなかったことを。

厳密には、後の無い琴奨菊の方に若干の情はありましたが、それでも55%-45%ぐらいの違いでしかありませんでした。

もしかすると、私の目は本当に節穴なのかもしれません。

ですが、少なくともあの場面では、「誰が」ということに囚われることなく、自らの観点で立ち合いを分析することができたと思っています。

だから、例え他の誰もが逆の診断をしていても、私は自分の見方を、自信を持って唱えようと思います。

大多数がそう思うことが、必ずしも正しいとは限りませんのでね。

他者の意見を尊重する態度を変えるつもりはありませんが、私は、自分の目を信じます。

4.終わりに

最後に、確認というか、お願いというか。

この記事では、あくまでも最初の立ち合い「だけ」に着目して、私が感じたことを書いています。

その直後、立ち合いの変化が実際に行われましたが、その是非とか、今もくすぶっている様々な議論については、私は一切、言及していません。

観点を絞るために、敢えてそのようにしています。

ご理解の程、よろしくお願いいたします。

5.あとがき

本当はもう少し、さらりと書きたかったのですが、どうしても色々と注釈を入れてしまいますね。

伝えるための方便なので仕方ない、とも思うのですが。

実は、相撲記事の連投を行うつもりだったのですが、翌朝以降に回すことにします。

とりあえず、今夜は寝たいです。

最後までお読み下さった皆様、ありがとうございました。