大相撲トーナメントの40年を繙いてみた
0.まえがき
2017年2月5日、日曜日。
本日、第41回日本大相撲トーナメントが開催されます。
この記事が載る頃にはもう開始されているんですかね。
通常より1週間早い気がするのですが、まあ、それはそれ。
いつもの通り、16時5分からフジテレビ系列で生中継されるので、今から楽しみです。
今年の大会は当然、稀勢の里の土俵に一番の注目が集まるでしょう。
ただ、賞金が懸かっているとはいえ、所詮は花相撲。
優勝なり好成績を挙げるなりすれば、それに越したことはありませんが、仮に早期敗退に終わっても、何らかの烙印が押されることにはならないと思います。
もちろん、このことは白鵬や鶴竜などにも言えることでして。(日馬富士は休場する模様。)
逆に言えば、テレビ中継が始まった早々、「○○(有力力士)は△△に敗れてしまいました!」という実況を聴くのが、ある意味、楽しみでもありますのでね。
そういう波乱も込みで、おおらかに楽しむのがいいと思います。
さて、このトーナメントは1977年(昭和52年)に産声を挙げました。
つまり、今年の開催は、大相撲トーナメント40年の節目の大会となります。
ということで、大会の歴史をここで繙いてみようと思います。
なお、力士の地位については、直前に行われた初場所の番付を記すものとします。
最高位とは異なりますので、間違えてコメントしないようにお願いしますね(微笑)。
(出典は主にウィキペディアより。)
1.「2日間で1トーナメント」時代(第1回~第9回)
まず、第1回から第9回までについて。
この時期は、2日間で1つのトーナメントを進行するスタイルでした。当然、初日に負けると2日目には進めません。
第1回は前述の通り、1977年に開催されました。日付は2月6日。
この時、私はまだ8歳でした。
大会は、横綱北の湖と大関三重ノ海の間で決勝が争われ、横綱が面目を保つ初代王者となったのでした。
この時期の優勝者を一瞥してすぐに気付くのが、関脇以下の力士が1回おきに優勝している、という事実です。
すなわち、第2回の玉ノ富士(小結)、第4回の栃赤城(関脇)、第6回の栃光(前頭4枚目)といった面々です。
玉ノ富士や栃赤城は、直前場所で三賞を受賞したように、好調だったのでまだ分かりますが、栃光(金城)に至っては、平幕で負け越したにも関わらずの優勝だったので、当時は本当に驚かれたでしょうね。
実は私、トーナメントについての記憶がほとんどありません。
しかし、玉ノ富士の優勝に関しては、おぼろげながら記憶に残っています。
当時9歳の私にとっても、意外すぎて、大きなインパクトだったのでしょう。
何せ、決勝で勝った相手が北の湖で、本場所で一度も勝ったことがなかったんですから。
勝負が決まった瞬間の、玉ノ富士の戸惑ったような表情が、今でも思い出されます。
2.「総合優勝決定戦」時代(第10回~第26回)
第10回(1986年)以降、大相撲トーナメントは、初日と2日目、それぞれにトーナメント優勝者を決め、優勝者が分かれたときのみ総合優勝決定戦を行う、というスタイルに改められました。(もちろん、2日間とも優勝した力士は、そのまま総合優勝となります。)
理由は調べていませんが、おそらく、前年に両国国技館が建てられたことが理由になっていると思います。
さて、前9回の大会は、すべて優勝者が異なっていました。
トーナメントのジンクスとされていたそうですが、この第10回大会で初めて、2回目の優勝を果たす力士が現れます。
それが横綱千代の富士で、翌11回大会も彼が優勝し、これも初の連覇ということになったのでした。
この時期のトピックスとしては、まず、第20回大会まではすべて、初日と2日目の優勝者が異なっていた、ということが挙げられます。
初めて両日優勝を成し遂げたのが、第21回大会の横綱貴乃花でしたが、すると翌22回では横綱曙が、一回置いた24回では関脇魁皇が、それぞれ両日優勝を果たしています。
あと、書くのは忍びないのですが、第14~16回にかけて、大関霧島(14回のみ小結)が3年連続準優勝に甘んじています。
どちらかのトーナメントには優勝しているので、もちろん立派なのですが、総合優勝にはついに手が届きませんでした。
ついでに、私が広島出身ということで1つ挙げると、第20回大会で、安芸乃島(前頭4枚目)が決定戦に進出しています。
「安芸関に総合優勝してほしい!」と思っていたはずですが、横綱貴乃花に敗れ、大魚を逃してしまいました。
(なお、貴乃花は初の総合優勝でした。)
3.「1日間で1トーナメント」時代(第27回~第40回)
相撲人気低迷の影響なのか、第27回(2003年)から1日制に規模が縮小された大相撲トーナメント。
直前の初場所は、奇しくも、膝の故障と戦った横綱貴乃花が引退した場所となりました。
そして、悲しむべきことに、2011年は、野球賭博問題や八百長問題発覚により、大会自体が開催中止となってしまいました。
この期間は、当然というか、やはりモンゴル勢が強く、朝青龍と白鵬がいずれも4回の優勝を誇っています。
特に朝青龍は、歴代で唯一、3連覇を成し遂げた力士となっています。
それ以外にも、伏兵の活躍が目立つのが、この時期の特徴と言えるでしょうね。
第34回で豪栄道(前頭2枚目)が、第38回では碧山(前頭3枚目)が、それぞれ琴欧州を決勝で破って優勝していますし、準優勝者においても、若の里、朝赤龍、豊ノ島といった名前が残っています。
第32回の準優勝には、時天空の名前もありますね。(ご冥福をお祈りいたします。)
あと、申し訳ないのですが、琴欧洲は結局3回、準優勝に終わっていますね。
第33~34回は大関として、第38回は関脇(大関陥落直後だった)として。
そして、38回直後の春場所を以って引退していますから、このトーナメントが最後の花道だったと言っていいでしょう。
琴欧州といえば、私が強く印象に残っているのは、第37回の準決勝で、大関鶴竜が、琴欧州相手に立ち合いの変化で勝利した取組です。
4年前の出来事ですが、当時の私は、「賞金が懸かっているとはいえ、たかが花相撲で、同じ大関相手に変化するとは何事だ!」と非常に憤慨したものでした。
それ以来、鶴竜のことがしばらく嫌いになっていたのですが、このブログを書くようになり、「勝利を得る」ということの大変さに気付くようになってからは、彼を嫌う気持ちは無くなりました。
(ちょっと余談ですが、技量を尽くした取組を多く観たい、と思う気持ちは変わっていませんが、ルールの範囲内で勝利を目指す行為なら、容認できるようになりました。)
なお、私にとってはどうでもいいのですが、参考までに書くと、日本出身力士の優勝は、7年前、2010年の豪栄道(前述の第34回)までさかのぼります。
今年は、どのような結果になるんでしょうかね。
4.あとがき
トーナメントの結果も楽しみですが、個人的な真の楽しみは、どうやらOB戦が放送に乗るらしいことなんですよね、実を言うと。
昨年は行われながら放送されなかったということなので、久々にこの目で観られるということで、誰が登場するかも含めて、非常に楽しみにしています。
なお、OB戦は多分、VTRでの放映になると思います。
WEBに結果が先載りしてしまう可能性がありますので、要注意ですよ!
最後に、国技館で生観戦しておられる皆さま、今日は存分にお楽しみ下さいね!
それでは。
最後までお読み下さった皆様、ありがとうございました。