幸せな男 ~森崎浩司ホーム最終戦に向けて~
0.まえがき
今回は本来、川崎戦レビューの続編を書く予定にしていたのですが、夕食後にいつの間にか眠ってしまったらしく、気が付くと、携帯の目覚ましアラームが鳴り続けていました。
一応、予告した形になっていますので連絡させていただくのですが、福岡戦も間近ですので、その件については少し先送りさせてください。
さて、今日の福岡戦は、2016年J1リーグの広島ホーム最終戦であると同時に、サンフレッチェ広島にとってひとつの節目となる、重要な試合になりました。
森崎浩司を送り出す、大切な試合です。
今回は、そのことについて書きたいと思います。
なお、現地、またはテレビで浩司の雄姿を見届けようとしておられる皆さんには、まずはそのことに専念していただきたいです。
この記事を読むことよりも、その方が優先度が高いと思いますので。
そのあとで、皆さんの適当な頃合いにお読みいただければ幸いです。
さあ、試合直前です。
カズ、寿人、青ちゃんなどが、浩司とのプレーを楽しみにしています。
相手の福岡にいる駒ちゃんはベンチスタートですが、できるならどこかで出てきてほしいものですね。
1.経歴を振り返る
森崎浩司の経歴について、少し調べてみました。
1981年5月9日生まれ、広島市安芸区矢野出身、現在35歳。
矢野中からサンフレッチェユースへと進み、吉田高校卒業後、サンフレッチェ広島に入団。
この時の新入団選手は「7人衆」などと呼ばれて、大きな期待を集めました。
プロ選手としては、世代の代表としてアテネ五輪に出場したり、サンフレッチェでも主力の役割を担うなど、活躍してきました。
その後、燃え尽き症候群や、オーバートレーニング症候群、度重なる故障に悩まされながらも、長年、サンフレッチェ広島の中心メンバーとして存在感を示し続け、現在に至る、というわけです。
1981年といえば、私は中学1年生。
浩司とカズが生まれた頃は、友達に誘われて部活に入ったり、学習塾に入ったり辞めたりしていました。
そして、浩司が入学することになる矢野中は、その頃もサッカーが強い学校でした。
確かな記憶ではありませんが、県大会上位の常連だったはずです。
森崎兄弟の周りには、サッカーをするための良い環境が整っていたんですね。
2.絆 ~浩司へのサポーターの想い~
「J’s GOAL」の「ウォーミングアップコラム」に、中野和也さんの文章が載っています。
行数の95%が、森崎浩司のことで占められています。
http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/n-00020294/
中野氏の浩司に寄せる敬愛を感じさせる良文です。
私も一読しましたが、胸が熱くなる瞬間がありました。
その中で、私が特に心を惹かれたのは、浩司が病魔に苦しむ中で、広島サポーターが見せた彼への気遣い、心配りでした。
オーバートレーニング症候群の特性を踏まえ、サポーターたちは、過度な期待で圧力を掛けないよう、慎重な姿勢で、浩司と向き合おうとしたのです。
それは、再び浩司の素晴らしいプレーを観るための行動でした。
浩司が戻ってくることを信じて、彼らは焦ることなく、それを続けたのです。
世間には、心の病気に対して苦情を言い出す人も多いです。
中野さんが書かれた浩司の引退に際した他の記事に対しても、「(浩司は)気持ちが弱かったから代表になれなかった」などという書き込みがありました。(もっと酷い表現を使ったコメントも見ました。)
広島のファンサポの中にも、それに類した感情で浩司を見ていた人もいないとは言えません。
しかし、広島のことを、森崎浩司のことを真に応援するサポーターは、そんな感情を持つことなく、我慢して彼を待ち続けていたのです。
私は、今回の「ウォーミングアップコラム」で、初めてそのことを知りました。
3.浩司を通して「サッカー」を観ていた多くの人たち
私が改めてサンフレッチェ広島の試合を観はじめて、レビューを書くほどに注視して観戦するようになってから、まだ高々数年しか経っていません。
なので、森崎浩司という選手に対しては、個のプレーのキレや鋭さというよりも、チーム組織の中で円熟したプレーを見せる選手、というイメージで見ていました。
ゴールに向かう勢いよりも、前線での連携を重視してプレーする、そういうイメージを持っていました。
しかし、浩司の引退が発表された後、様々なところで目にするのは、彼自身の技術の高さと、アグレッシブなスタイルを礼賛する、そんな声の数々でした。
柏木陽介が、ミシャが、李漢宰が、その他、様々な選手が彼を絶賛しているわけです。
特に陽介は、彼の(シャドーとしての)プレースタイル自体が、浩司とよく似ていますものね。
(きっと浩司の背中を見ながら磨き上げてきたんでしょうね。)
特筆すべきは、共に戦ってきた選手たちだけでなく、一般のサッカーファンやサポーターからも、そうした声が上がっていることです。
「(浩司を見て)サッカーの楽しさを知ることができた」などのコメントを、様々な場所で読むことができます。
そして素晴らしいのは、それが広島ファンに限った話ではないということです。
決して著名な選手ではない森崎浩司ですが、多くの人たちが、彼を通じてサッカーを感じてくれたのです。
4.見る人は見ていた、彼の「素晴らしきサッカー人生」
10月20日に、浩司の引退を発表されてから、多くの記事やコメントを読みました。
その一連の作業の中で、私が思わなかったことが、ひとつあります。
私は、森崎浩司のサッカー人生の中で起こった様々な出来事を、「悲劇」だとは考えていません。
確かに、度重なるケガや病気により、浩司の可能性は少なくなってしまいました。
「それがなければ、本当は日本代表の中心選手として活躍できていたのかもしれない。」
そう思う人も多いようですし、その可能性も十分にあり得たと、ミシャ等のコメントを読むと思います。
しかし、私は彼を、「ケガや病気で大成を阻まれた選手」という見方はしていません。
彼は、森崎浩司は、「ケガや病気に打ち勝って、サッカー選手としての尊厳を貫いた選手」なのです。
(私は、「ウォーミングアップコラム」を読んで、その思いを強くしました。)
そして、浩司引退記事へのコメントは、前者のようなコメントは少なかった。
多くのコメントが、浩司を評価したり、ねぎらったりする、そんな内容でした。
彼を悲劇の選手扱いするコメントは、本当に少なかったのです。
私はちょっと感動しました。
「我が意を得たり」という意味ではなく、浩司のことを、見る人はちゃんと見てくれていたんだな、そう思ったからです。
そんな人たちに見守られて、浩司は幸せですね。
5.あとがき
今日、2016年10月29日、森崎浩司は、ビッグアーチのピッチに立ちます。
本年度の天皇杯がビッグアーチで開催されることはなさそうなので、これが、サンフレッチェ広島のホームスタジアムで彼が戦う最後の試合になるでしょう。
現地で見届ける人も、テレビで見届ける人も、事情があって観ることができない人も、応援してきた人すべてが、森崎浩司の雄姿を心に焼き付けたいと願っています。
観ることができなかった私も、その気持ちは同じです。
そして、ユーチューブやインスタグラムなどでおそらく観ることができるであろう事後の映像で、地元最後の彼の奮戦を確認したいと思います。
最後までお読み下さった皆様、ありがとうございました。