望月三起也氏を悼む

2016年4月4日の昼休み、ヤフーニュースでその記事を見て、驚きました。

前日の朝、望月三起也氏が癌のため亡くなったというのです。

享年、77歳。

功成り名遂げた、と思いますが、まだまだ描きたい意欲を持ち続けていた由、それを思うとまだ早い死でありました。

多くの方がご存じだと思いますが、望月氏は、大のサッカー好きとして知られていました。

そして、サッカーマガジン誌上にコラムを持たれていて、長らく貢献なさっていました。

私はもちろん、望月氏とは面識なぞありませんでした。

が、実は個人的に、ひとつの思い出を持っています。

というのは、私がかつて「J-NET」に書き込みをしていた頃、望月氏のコラムを痛烈に批判したことがあるのです。

それは、韓日W杯が行われた頃の話。

当時の日本代表監督、フィリップ・トルシエ氏のことを、望月氏は大変嫌っておられました。

ある時、氏はコラムの中で、トルシエ氏の人間性を否定する文章を書かれ、その内容に、私はかみついたのでした。

トルシエ氏は、確かにエキセントリックな性格を言われていました。反トルシエ派という一大勢力が存在したことも事実です。

しかし、指導者としてのトルシエ氏は、ワールドユース準優勝や、(初の)W杯グループリーグ突破など、実績を残してこられました。

そんな彼の実績を、ただ自分が嫌っているという理由だけで全く無視し、多くの人が購入して目を通す雑誌のコラムに悪口を書き連ねる、という望月氏の姿勢が、私は許せなかったのです。

その時に自分が書いた文章を、私は(他の寄稿文と一緒に)保存していたのですが、今はキング・カズPCと共に眠ってしまいました。

なので、ここに再掲することはできませんが、多分、相当辛辣なことを書いたはずですよ。

(当時は今のように「リスペクト」を標榜していた訳ではないので。)

普段のコラムでは、浦和レッズに対して愛情のこもったコメントを書いておられた氏でした。

なぜそんなに頑なに、トルシエ氏の功績を認めようとしないのか。

功績を認めた上で、それでもダメだと思うところは指摘すればいいではないか。

私は、憤慨すると同時に、その辺りのことを非常に残念に思ったものでした。

振り返ると、当時の私はまだ、ネットに書き込むことの怖さを知らなかったんですね。

そして、いま思えば、レッズに向けられた優しい眼差しこそが、望月氏の本質だったのかもしれません。

そうなのです。

月氏は、サッカーファンであると同時に、浦和レッズの大サポーターでもあったのです。

いや、世代的にきっと、三菱重工業サッカー部の時代から、氏はサポーターだったはずですよね。

三菱の黄金期や、まだ弱かったレッズ創成期、そして、アジアを制し、強豪と呼ばれるようになった近年のレッズを、長く見守ってこられた望月氏

彼を「元祖レッズサポーター」と称しても、誰も怒る人はいないでしょう。

最後に。

私は、漫画家としての望月氏をほとんど知りません。

なので、彼が、子供の頃に観ていたアニメ「マシンハヤブサ」の作者だったことを、今夜、初めて知りました。

片輪走行、大好きでした。

ご冥福をお祈りいたします。