春場所への期待+所信表明

春場所の番付発表の日をうっかり忘れていて、3日後ぐらいに新しい番付を見ました。

遠藤、大砂嵐といった人気どころが十両に陥落し、一抹の寂しさがある幕の内ですが、2人の新入幕力士を迎え、やはり多士済々、今場所も賑やかな顔ぶれが揃いましたね。

注目は、何といっても、琴奨菊が綱の大輪を咲かせるか否か、ですね。

優勝以前の成績が物足りないので、優勝は最低条件であり、勝ち星の数に加え、内容も問われることになるでしょう。

しかし、昨年の秋場所辺りから相撲が良くなってきて、大関昇進当時の活力が戻ってきましたので、春場所後の昇進も、決して夢物語ではないと思います。

その他、横綱陣の巻き返しや、他の大関の意地にも注目したいですね。

とりわけ、30代の元気な関脇陣には、「荒れる春場所」を大いに盛り上げていただきたいと、期待しています。

さて、前々から書きたいと思っていた「相撲」カテゴリーの記事を、今日初めて、書くことができました。

ようやく、タイミングが合いました(微笑)。

最初の一歩を踏み出しましたので、今後はちょいちょい参戦したいと考えていますので、よろしくお願いします。

ということで、ここでは、私が相撲の記事を書く上での基本方針というか、前提条件にしていることを2つ、提示しておくことにいたします。

八百長は無いものと考える

長年、相撲を観ていると、特に場所の終盤戦になると、「これ、ちょっと怪しいんじゃないの?」と思わせるような取組結果に遭遇することが多々あります。

そんなときは決まって、ネット掲示板に「八百長」と決めつけるコメントが乱立し、「そう思う」ボタンが沢山押されることになります。

同様に、「星の貸し借り」とか「大関互助会」とか、そんな言葉もよく飛び交います。

スポナビブログでも、「都市伝説」と称して、その存在をまことしやかに主張するブロガー氏がいました。

数年前に八百長が発覚して以降、相撲協会が浄化に向けた取り組みを行なってきたはずですが、世間の不信感は未だ根強いようですね。

しかしながら、上記の、八百長等を主張する意見には、致命的な弱点があります。

それは、ほとんど誰も明確な証拠を示していないことです。

確かに、何か裏がありそうな、そんな取組はあります。私も「もしかしたら」と感じることはあるのです。それは否定しません。

でも、それを「八百長だ」とか「星の貸し借りだ」などと「断定」するためには、明らかな証明が必要です。

「疑わしい」だけでは、有罪にはできません。

「そう見える」というだけでは、それが仕組まれたものなのかどうか、真相を判断することはできないのです。

相撲界で今も八百長が行われているかどうか、私には分かりません。

行われているのかもしれないし、行われていないかもしれません。

であるならば、私は、「八百長は行われていない」と考えることにしたいと思います。

なぜなら、その方が、毎日の取り組みを楽しんで観ることができるからです。

実力差以外のところでどちらが勝つか事前に分かっている取組を観て、何が面白いものか!

私は、「八百長ありき」で発言したり、ブログに書いたりするグループとは、一線を画しておくつもりです。

少なくとも、根拠なく決めつけることだけはしません。

八百長の証拠が挙がり、事実として発表されない限り、私は1人の相撲ファンとして、そのスタンスで、個々の取り組みを楽しんでいこうと思っています。

◆ 優勝者の国籍にはこだわらない

先場所、琴奨菊が優勝を飾るまでの間、「日本出身力士の優勝待望論」がず~っと言われ続けてきました。

相撲中継でも、北の富士さんが明確に悲嘆されておられました。

おそらく、多くの相撲ファンが同じ意見を持っておられただろうと想像します。

しかし私は、少数派かもしれませんが、そういう待望論に対して、あまり共感していませんでした。

なぜなら、優勝者が日本人だろうが、モンゴル人だろうが、それには全くこだわりがないからです。

そもそも、日本の大相撲に入門し、同じ土俵に上がって切磋琢磨している、そんな力士たちを国籍で区別することに、大した意味があるとは思いません。

番付に名前が載った時点で、力士たちは皆、条件は同じです。

実力をつけて強くなり、番付を上げていき、本場所で力を発揮した者が、優勝したり、横綱大関に昇っていくわけです。至極、当たり前のことです。

それがたまたま、外国出身力士に偏っている、というだけの話であって、そこに何か問題があるとは、私は思わないのです。

もしも向こう10年間、また外国出身力士の優勝が続いたとしても、私がそれを問題視することはありません。

極論ですが、私は、横綱大関が全て外国籍の力士だけになっても構わないと思うし、外国籍の理事長が誕生しても構わないと思います(今は無理だけど)。

私は今後も、国籍に囚われることなく、大相撲の力士たちを平等に観ていくつもりでいます。

ということで、以上を基本的な方針として、私の目で観て感じたことや、私なりの考えを、相撲の記事でも書いていこうと思います。

また、私の相撲観戦歴や思い出話なども、少しずつ書いていきたいですね。

改めて、よろしくお願いします。

最後までお読み下さった皆様、ありがとうございました。