「退屈」を読み解く「眼力」について

1.ゼロックス杯の退屈な時間について

ゼロックス杯が終わりました。

予定通り、レビューを鋭意執筆中、なのですが、まだ当分、終わりそうにありません。

ACL初戦も控えているので、早く仕上げてしまいたいと思います。

さて、この試合、前半の終い10分間ぐらいの時間帯に、動きの少ない膠着した展開になりました。

その要因は、守備意識の高さ故に、相手の長所をつぶし合う展開になったためだと思います。

おそらく、観ていた人の中には、退屈な時間に感じた人が多かったのではないでしょうか。

正直なところ、この時間帯、私もメモに書く内容を見出せなかったのでした。

しかし、これをただ「退屈だった」で済ませていいものだろうか? と私は思ったのです。

そこで、かねてから思っていたことを含めて、書いてみることにしました。

サッカーで「面白い試合」とは何であるか、人それぞれに考えがあるとは思いますが、おそらく、「得点シーンが多い試合」が面白い、と考える人が多いのではないでしょうか。

私も実は、そう考えています。やはり、点が多く入るに越したことはないと思います。華々しいし。

Jリーグでいえば、例えば、浦和-川崎戦などは、それぞれが攻撃的なチームであるだけに、そういう意味での面白い試合になる可能性が高いと言えるでしょう。

一方、今年、ゼロックス杯を戦った広島、G大阪は、攻守のバランスを重視した、どちらかというと守備的な印象を持たれているチームです。

そんな両チームが、「前半は無理をしないで後半勝負」という選択をした場合、必然的に、試合の流れは滞りがちになります。

今回の試合で、両チームがそのようなゲームプランだったかどうかは分からないのですが、結果的に前半は0-0でしたし、シュート数も合わせて3本しかありませんでした。

動きが少ないと、どうしても面白くないし、退屈に感じてしまうでしょうね。

少なくとも、この試合の「前半の後半」というのは、そう見られても仕方がなかったとは思います。

2.サッカーの「プロ」に求めたいこと

しかし、です。

これをただ「退屈だった」で済ませてしまうのは、サッカーの試合を観る目がまだ甘い、と認めるようなものではないでしょうか?

90分+αという時間をトータルでコーディネートする、その構成力に長けているのが、サンフレッチェであり、ガンバである、というのが私の認識です。

よって、この一見退屈な時間帯にも、実は「嵐の前の静けさ」的な、目には見え辛い駆け引きがあるはずなのです。

観る人が見れば、局面ごとに何が起こっているのか、たちどころに理解してしまうでしょう。

実際、そうした局面での出来事について、解説の都並さんや北澤さんが、放送の中でいくつか指摘なさっていました。

例えば、青山のポジショニングについて森保監督から指示があったことについて、「これは守備への切り替えの準備である」と、即座に解説してくれましたよね。

実は、これと全く逆の話があります。

2年前、広島と横浜FMがゼロックス杯を争った時、2-0で広島が勝利したのですが、あるルポライターが、その戦いぶりを「つまらなかった」と評し、「それは広島の責任である」と断じたのです。

強烈な前プレでボールを奪取し、得点を奪い、相手の横浜の選手たちに「予想外だった」と驚かせた、そんな試合だったのに。

どうもその人には、「2点リードした時点で守りに入った」ことが気に食わなかったらしいのですが…

それはそれとして。

確かに、記事の内容そのものへの不満はありました。

とはいえ、その人が感じたことを記事に書いたこと自体を、非難することはできないし、そのつもりもありません。

ただ、私が指摘したい、気に入らない点は、「つまらない」戦い方の中にある「意図」や「狙い」を完全に黙殺した、書き手の「眼力」の無さ、レベルの低さ、なのです。

彼は、ヤフコメにコメントするような素人でもなければ、無料ブログに記事を書くような素人でもありません。

お金をもらってサッカー(や他のスポーツ)の記事を書いている、プロのライターなのです。

であるならば、「つまらない」と言って思考停止する前に、選手たちがなぜその選択をしたのか、狙いは何だったのか、そのくらいは分析して、読者に伝えるのが、プロとしての矜持ではないでしょうか?

私は、サッカー記者や解説者は、サッカーの奥深さを伝える義務がある、と考えています。

一見、意味なくパスを回しているようでも、そこには必ず狙いがあります。

一見、つまらない時間が流れているようでも、そこには必ず何らかの意図が隠されています。

サッカー記者や解説者なら、その眼力で、隠れた狙いや意図を見抜くことができるはず。

そういう気付きを、記事なり、放送の解説なりで発信すれば、それを読んだり聞いたりした人に、サッカーの奥深さを知ってもらうことができるし、彼らの「観戦眼」を強化できると思うのです。

少なくとも、今年のゼロックス杯では、都並さんも北澤さんも、プロとして「深い」ところを説明してくれたと思います。

放送を注意深く観ていた、聞いていた人の何人かでも、彼らの説明で「サッカーは奥の深いスポーツなんだな」と感じたのなら、それだけでも解説した甲斐があろうというものです。

3.観戦眼を磨いていこう!

試合中の選手の行動には、必ず意味があります。ピッチ上の22名、全員が、何らかの意図を持って動いています。

誰かに解説してもらわなければ分からないことばかりかもしれませんが、少なくとも「プレーには意図がある」ことを意識して観戦するだけでも、サッカーを観る目は鍛えられると思うし、「サッカー観戦初心者」のレベルからも卒業できると思うのです。

かくいう私も、観戦眼という点では、偉そうに言えるレベルではありません。

私にもう少し眼力があれば、そうした駆け引きの一端でも書き記すことができるのでしょうが、まだその域には達していません。

それでも、先に述べたような意識で試合を観るようにはしているつもりです。

当ブログで記事を書き、多少なりとも支持して頂けるのは、きっとそうした積み重ねの賜物なのでしょうね。

とりあえず、そう思い込むことにします(微笑)。

今回はちょっと上から目線なところがあったかな?どうかな?

まあ、たまにはいいですかね。夜遅いし(笑)。

最後までお読み下さった皆様、ありがとうございました。