それぞれの12月29日
1.塩谷司の場合
2015年12月26日、FC東京戦。
塩谷司は、第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会における、2枚目の警告を受けました。
この結果、準決勝のG大阪戦に出場することができなくなってしまいました。
主審の笛で試合が止まった後、誰かに投げ渡すような格好でボールを手のひらの上に乗せ、そのまましばらく保持してしまったため、遅延行為を取られたものでした。
決勝戦で、G大阪の宇佐美が、同じ行為で警告を受けたので、こうした行為に対しては、ある程度厳しく取る傾向があるのかな、と私は思ったのですが…
彼らにとっては、本当に相手チームの誰かに投げ渡そうとした、善意の行為だったのかもしれません。
しかし、それは果たして、あの場面で必要な行為だったのだろうか?
少しでも早く、いるべき位置に戻るために、適切と思われる場所にボールを転がして、即座に立ち去っていれば良かったのではないでしょうか。
どのような理由で警告を受けようが、五十歩百歩、ではあるでしょうが、「サッカーをプレーする」という本分とは違う、こんな行為でイエローカードをもらうというのは、全くつまらないし、勿体無いと言うしかありません。
結局、塩谷は、チームに迷惑をかけてしまいました。
ただでさえ、1ヵ月に8試合を戦うという中で、選手をやりくりせざるを得ない状況だったのに、さらに主力の1人を使えなくなったのですから。
塩谷はそのことを、きっと大きく後悔したと思います。
おそらく、ヤンマースタジアムで自分が居ない試合を観戦しながら、事の重大さを噛みしめていたでしょう。
サンフレッチェの一員として戦うことの意味を、塩谷は、本当はよく分かっているはずです。
フェアプレーの意味を改めて思い起こし、次の試合からまた輝くプレーを見せてほしいと思います。
2.宮原和也の場合
2015年12月29日、G大阪戦。
塩谷を欠く広島が、3バックの一角に誰を起用するのか。
佐々木翔、という選択肢も有力視されましたが、森保監督の決断は、宮原和也でした。
登録はミッドフィルダー。
ペトロビッチが広島の監督に就任して以降、森崎和幸や戸田和幸といったボランチが本職の選手たちが、3バックの一員に入るということがありました。
そして2014年、偶然にも「ボランチ」が本職の「カズ」が、3バックの右サイドとして起用されました。
私もその試合(J1鳥栖戦)をレビューしましたが、宮原は慣れないなりに、大きな破綻なく無難にプレーしていました。
そんな彼が、再び3バックの一角として出場機会を得たのが、CWC3位決定戦でした。
その時もそつなくこなして勝利に貢献してくれただけに、天皇杯準決勝という大舞台においても、期待に応えてくれると思いました。
しかし、G大阪は甘くありませんでした。
パトリックとのミスマッチを突かれた1失点目を初め、3失点すべてに絡んでしまったのです。
本職ではないだけに当然、ディフェンダーとしての技量に長けている訳ではないので、正面から受け止めるならともかく、カウンターを受けて追いかけながらの守備というのは、経験が浅い分、難しかったでしょう。
でも、DFとして起用される以上、守備面でもっと貢献してほしかった。
公平に見て、この試合に限っては、彼に合格点を与えることはできません。
但し、試合後に一部で見かけた、彼を犯人呼ばわりするような考え方は、間違っていると思います。
それは、広島の「チーム全員で戦う」というコンセプトを知らない人の言うことです。
森保監督が、本職でない彼にあのポジションを任せたのには、2つの理由があると考えます。
1つは、塩谷不在の穴は大きかったけれども、宮原を含めた全員でそれをカバーしようとした、ということ。
もう1つは、宮原和也に、他の選手にはない美点があるから。
この試合でも、広島のディフェンダーに求められる足元の確実性や、機を見たオーバーラップに、彼の長所が良く表れていました。
宮原にとって、この試合は、彼のキャリアの中で最悪の試合になってしまったかもしれません。
でも私は、この試合のパフォーマンスを、彼自身が大いに悔しがってくれれば、それでいいと思っています。
我々がつべこべ言わなくても、彼は、自分に不足している部分が何かを知り、それを補強していくために、練習に勤しむに違いありません。
現在19歳の彼は、10数年後に「ドクトル」の名を我がものとして、広島のレジェンドになる可能性を、十分に秘めています。
この試合の悔しい経験が、その道のりの一里塚になるかもしれません。
3.吉野恭平の場合
ファンなら周知の事実ですが、サンフレッチェで18人のメンバーに入ることは、決して容易なことではありません。
他のチームは知らず、広島では、練習の中でアピールし、認められたものだけが、メンバー入りの権利を与えられるのです。
毎年、そうした厳しい競争でライバルたちを凌駕できず、契約満了やレンタル移籍などで、他チームに行かざるを得ない選手が多く出てしまいます。
寂しいですが、それがプロの世界なんですよね。
そんな中、1人の若者が、大一番のベンチに初めて座りました。
吉野恭平。東京ヴェルディユース出身で、数々の年代別代表歴を持つ、期待の若手DFです。
2014年に広島と契約した後、東京Vにレンタルという形で留まってJ2を戦っていましたが、同年8月に東京Vを離れ、改めて広島の選手として活動してきました。
期待されて広島に加入した吉野でしたが、相次ぐケガにより、広島ではナビスコ杯に2試合出場しただけでした。
リオ五輪世代としても、最終予選のメンバーから外れるという無念を味わったばかりでした。
非常に悔しい思いを味わってきたと思う吉野ですが、ここにきて、天皇杯準決勝のベンチに座ることを許されたのです。
私も嬉しく思いましたが、最も喜んでいるのは当然、彼自身だと思います。
確かに、欠員があったから、という面は否めません。出場が叶うとも思えませんでした。
それでも、日本一を賭けたベスト4の戦いに「戦力」として臨めるだけでも、彼にとっては大きな財産になるはずだと思うのです。
何と言っても、同じベンチに、森崎和幸や佐々木翔、柏好文といったバリバリの主力が座っているのですから。
ナビスコ杯1次リーグのような若手主体のメンバーとは訳が違います。
まるで、初めてオールスターゲームに出場した若手選手のような、夢心地であっただろうと思います。
現在の主力は、実力者揃いです。塩谷はもちろん、千葉にしても、水本にしても、レベルの高い、超えるには難儀な壁です。
しかし、試合に出るためには、彼らを脅かす実力をまずはつけなければなりません。
しかも、同世代のライバルとも競わなければなりません。
2015年に加入した川崎裕大は、2度の大怪我で1年を棒に振りましたが、大卒(=年齢が上)であるだけに、少しでも早く活躍しようと、目の色を変えて練習に取り組むでしょう。
熊本でレンタル修行してきた大谷尚輝も、かの地で消化不良だった分を取り返すため、必死で上を目指すことでしょう。
吉野も、負けてはいられません。
サンフレッチェで力を付けて、まずは常時ベンチ入りできるように努力してほしい。
その努力がオリンピックにつながっていく可能性もまだまだ大きいと思いますから。
4.山岸智の場合
最初は、レンタルでした。
川崎フロンターレで出場機会を減らしていた山岸智は、出場機会を求めて広島に来たのだそうです。
2010年から6年間、広島のために戦ってくれたベテランの、広島での最後の試合。
その日がとうとう来てしまいました。
G大阪に2点のリードを許していた後半78分。
サンフレッチェの3枚目の交代カードとして、清水航平の代わりに左アウトサイドに登場した山岸でした。
私が思うに、おそらく多くの方が、「広島が敗色濃厚になったから、森保監督が温情で出場させた」と考えたことでしょう。
私も、ニュースで「森保監督から『楽しんでやってほしい』と言われた」と伝えられていることから、温情の意味があったことは間違いないと思います。
しかし、試合観戦中の私は、実はこうメモしていました。「この起用は、決して温情ということではないのだ」と。
森保監督の起用の意図を、私はこう考えました。
2点ビハインドで、当然、得点を取りに行かなければならないが、清水航平の疲労が顕著だったので、フレッシュな山岸を起用したのだろう、と。
佐々木との比較でいえば、山岸の方が攻撃的なので、負けている状況ではベターな選択でした。
「森保は勝負を諦めた」と考えた人がいたとしたら、とんでもない話です。
逆転で勝利をつかむために、1点、また1点ともぎ取っていくために、森保監督は、山岸の力を必要としたのです。
結果的に、最後のカードは実を結びませんでした。
山岸自身も、試合に入り込むことが、この日はできなかったようでした。
それでも、少しでも監督の期待に応えよう、広島の勝利を目指して戦おう、という気持ち、覇気は、十分に受け止めることができました。
次のシーズン、山岸はいません。
出場機会を求めて広島にやってきた彼が、いま、出場機会を減らしても腐らず、自分の役割を果たすべく真摯に取り組む、そんな選手になってくれました。
サブのメンバーにとっての心の拠り所でもあったであろう、彼の存在。
練習場に、ポッカリと大きな穴が開いてしまいそうです。
吉報を待っているのですが、現時点でもまだ、山岸の行先は伝えられていません。
「中盤のアウトサイド」というポジション的に、難しい状況なのかもしれませんね。
しかし、「どのクラブに行っても、彼は必ず、そのチームの力になることでしょう」と書いたときの気持ちは、今も変わっていません。
諦めないで、待っています。
5.終わりに
今回は、前回のレビューでは書き切れなかった、選手個人にまつわる感慨を書きました。
いつもの愛称的な呼び方は避けたので、少し雰囲気が違っているかもしれませんね。
それでは。
最後までお読み下さった皆様、ありがとうございました。